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<霧の彫刻> 中谷芙二子「霧の抵抗」展@水戸芸術館にみる《メディア》(触媒、媒体)としての作品と活動

2019年の年明け、まだ街が稼働し始める前の蒼空と寒風厳しい松の内6日(日)に、「オトヅレ」のメンバーと共に赴いた。

生成し、漂い、流れ、包み、覆い、隠す・・・霧。立ち現れて、やがて立ち消える霧・・・

独自に開発された人工霧発生装置による<霧の彫刻>は、ただ美しいだけでなく、その場の見えないものを顕わにするメディアでもある。気温・湿度・気流の微細な変化に応じて、呼吸する生き物のように変幻自在な容態から逆に、風の流れや光と影のコントラストなど、その環境の質がより鮮明に浮かび上がってくる。

 

そして、霧に完全に包まれ覆われて何も見えなくなると、体験する者の意識は空間から離れ時間のなかに深く沈み込んでいく。ひととき瞑想するように・・・こうした時間とともに存在する<霧の彫刻>は、空間を包み充たし時間芸術である「音楽」のようでもある。実際、<霧の彫刻>は音楽家に愛され、コラボレーションも多いという(同日トークセッション「ビデオギャラリーSCANをめぐって」より)。

また、霧が晴れたとき、すなわち中谷が仕掛けた人工霧が消滅したときに再び現れるのは、すでに霧に覆われる以前の空間ではない。霧の力で洗われたように、見慣れた風景もなにか違って感じられてしまう。気づかなかった風景に出会うというか・・・日常が少しずらされ、「異日常化」される、とでも言おうか。

だからこそ<霧の彫刻>は、屋内の閉じられ一定に管理された場よりも、自然現象を始めとして予期せぬ偶然の出来事が生起する屋外でこそ本領を発揮する。人智を超えた世界へと感受のアンテナが立ち、その場を離れても、日常のなかで見えないものに気づくsense of wonderを得られるのだ。

と、ここまで書き進めて、中谷自身の言葉を見つけた。

「霧の彫刻は、自然の霧のひな型。この自然の精妙なバランスに身をゆだねると、自然界のエスプリや天工の妙との対話が誘発される。それは自然へのオマージュであり、また親密な会話である。こらから語り掛けるほどに、自然は大きなものを返してくれる。

霧の彫刻の体験は、自然との交歓ばかりか、自身の深層との対話へと誘う。そこで体得されるのは、人工と自然、モノとコト、具象と抽象、凡庸と崇高などが、対置を凌駕して共存し、そして究極には互いに置き換え可能な存在であることであろう。

メタフィジカルな体験は多種多様、かつ個々人それぞれのものである。可視と不可視のはざまに介在する霧は、身近な日常の風景を、瞬く間に幻想の時空間へと変換する。霧に侵食されて、場所の境界は消滅し、過去、現在、未来の帯域を超えて時間間隔が融解する。

中谷芙二子 覚書 1990年1月」(『中谷 芙二子 霧』éditions Anarchive  2012)

同展の作品解説にあった「私の作品はネガティブなものです」という中谷の言葉に「なぜネガティブなどと言っているのでしょう」と疑問を呈した方もいたが、ここで中谷が使っているのは「否定的」「マイナスな」という意味のネガティブではなく、写真のポジ・ネガのような対象の反転、<霧の彫刻>でいえば、環境の自然的側面こそがポジであって、それらを可視化し存在を引き出す中谷の人工霧は、対象に光を照射するためのネガ(陰画)的な位置づけという意味ではないかと考える。それはまた、同日トークセッション「ビデオギャラリーSCANをめぐって」で語られていた、中谷が自身のビデオ作品上映のためだけではなく、若いアーティスト達が集い制作するための「場づくり」を行っていた、というメディエータとしての活動とも重なる。
中谷は、作品<霧の彫刻>にも、活動の仕方にも、《メディア》(触媒、媒体)としての力を見出せるのである。

ところで、中谷の父は、雪の結晶生成研究に携わった科学者であり、敬愛する師の寺田寅彦同様、「雪は天から送られてきた手紙である。」といった名随筆家としても著名、そして後の岩波映画製作所の前身でもあるプロダクションを設立し雪の科学映画を製作した中谷宇吉郎博士(1900~1962)。その叔父にあたるのが、湯布院に亀の井別荘を開いた中谷巳次郎(~1936)だが、宇吉郎一家は、湯布院に湯治などに訪れたことはなかったのだろうか(宇吉郎博士の略年譜を見ると、療養は伊豆どまり。とても湯布院まで赴く時間的余裕はなかったようだが)。

というのは、湯布院名物はまち全体を覆う冬の朝霧だからだ。かつて湯布院の環境基本計画策定の仕事でまちの方々に「湯布院らしい音風景」についてヒアリングした際、最も印象的だったのが、「朝霧の立ちこめるなか、最初にチリンチリンと自転車のベルの音。続いて「おばちゃん、おはよう!」という知り合いの高校生の声。これが毎朝の湯布院らしい音風景」との答えだった。まちのおとなと若い人との挨拶が、笑顔や手をふる姿からではなく、霧で視覚が遮断されたなかで音と声から始まるという、なんとも映画的な光景。

<霧の彫刻>家としての中谷芙二子の原点に、縁りある土地での霧の体験が関わっているのではないかと勝手に想像していたので、今回ご本人にぜひ伺いたいところだったが、来日叶わず残念・・・

いずれにせよ、触発するアート、環境に拓くアートとしての<霧の彫刻>、今一度、昭和記念公園など屋外常設施設を訊ねてみたい。